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田園交響楽

内容

著者のジッド(André Gide)は1869年にフランス・パリに生まれた。 1949年にはノーベル文学賞を受賞、 その六年後の1951年に八十二歳で逝去した。 翌年ローマ法王庁はジッドの全著作を禁書とした。 本作は1918年から書き始められ1919年に出版された、 ジッド五十歳の作品である。 当初「盲目」という題が予定されていたように、 牧師が身寄りのない盲目の少女を拾い教育していく様を、 ひらすらに牧師の視点から描く。 彼女の目は手術によって開眼するが、同時に二人は絶望の淵に立たされるのである。 「盲人もし盲人を導かば」の悲劇的な結末が待っている。

感想

書店にて一冊の本が目に留まった。 どこかで見慣れた漢字が背に書かれていた。 田園交響楽、それは私が最も愛するベートーベンの田園交響曲と同じである。 この題名がその曲を指しているという確信はなかったが、 とりあえずノーベル賞作家という肩書きも手伝って購入したのであった。

読めばやはりベートーベンの第六番であった。 めくらの少女に最も聴かせたい音楽と牧師が考え、 また聴いた彼女は「あなたがたの見てらっしゃる世界は、 『小川のほとりの景色』(第二楽章の標題)のように本当に美しいのですか」と 尋ねたという。この曲は第五番「運命」と同時期に書かれた曲で、 五番では耳が聞こえなくなるという悲劇的命題を取り扱っているのに対して、 六番では風景の美しさと生活の喜び神への感謝が込められている。 耳が遠くなっていくベートーベンが自然の美しい音たちを、 小鳥の鳴き声や川のせせらぎを、 まだ耳が聞こえる内に少しでも音符に残しておこうとしたのだろうか、 そこには田園のどこまでも純粋な風景と感情が描写されている。

牧師は彼女の問いに 「目に見える人間は見えるという幸福を知らずにいるのだよ」 と答えるのが精一杯であった。 けだし牧師は伝えられずにいたのである。 目の見える事の不幸を、目の見えぬ事の幸せを。

しかし牧師はめしいであった。 皆が明らかに認める牧師の精神が働きを、 牧師自身は気付かずにいたのである。 いわば精神の盲目であった。 牧師が己の盲目を知ったとき、 そして魂に宿った感情の作用に気付いたとき、 彼はその感情に恐怖と罪の意識を感じるのであった。 そう、牧師は彼女に恋愛の情をいだいてしまっていたのである。 そこには妻との声にならない対立が待っていた。 更に同時に彼女に好意を寄せる息子との対立も待っていた。 その上に己の信ずる道徳にはずれるという心の葛藤もあった。

盲人が盲人の手を引いて道案内したらどうなるだろうか。 危険きわまりないことになるだろう。 先には不幸な結末しか待っていないだろう。 自身の盲目であるを知った牧師は、最悪の結末を予測しながら、 成り行きにまかせるまま運命の時を迎えることになるのである。

開眼手術を受けた彼女は初めて見る世界を、 「あたしが想像していたより、ずっと美しいものでした」と言った。 そして初めて見る人間の額を、 「こうまで憂いをたたんでいようとも、決して想像していませんでした」と言った。 彼女は田園交響曲を聴いて自然がさぞ美しいものだと想像したに違いない。 そんな曲を書いたベートーベンもさぞ「想像通り」の人間であろうと信じただろうが、 ベートーベンがさほど立派であったとは限りない。 そもそも田園交響曲の美しさにかなう人間など居ないのである。

二つの意見が葛藤する。 盲目こそ幸福、不幸を見ずに済むからこそ幸福でいられるというのである。 だが不幸を見ているからこそ、 純粋な美しさに幸福を見つけることができるのではなかろうかとも思う。 けれど不幸は、取り返しのつかぬことだからこそ、不幸なのかも知れない。

世の中には知らなければ良かったことが多くある。 しかし人は好奇心から知ろうとしてしまうのである。 やがて人は知らしめられるのだ。 知らなければ良かったと。 けれど諦めてはならないと思う。 絶望しながらも人は生きなければならない。 知らぬが仏というが、知ったために仏になってしまっては元も子もない。 なぜなら人生は絶望の反復で成り立っているのだから。

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制作・著作/香倉外骨  Since 2002/10/20
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