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ドラえもん

内容

いわずもがな、藤子・F・不二雄原作の国民的コミック。 基本的には一回読み切りのスタイルだが、 「大長編ドラえもん」としてストーリー性が強調された連載ものもある。 またテレビや映画、ゲーム等にも当然の如くに進出し、 老若男女を問わず知名度は抜群である。 ここで内容を紹介するのも無駄と思える程広く知られているであろうから、 下手な要約などはせずにさっさと感想に移りたい。

感想

ドラえもん、それは正に子供向け漫画の王道ともいっていいだろう。 それ故良い意味でも悪い意味でも漫画的な非現実的な設定がなされている。 タイムマシンやら不思議な道具ら、 実際には存在しないものは次々と登場する。 そういった非現実を象徴するのがドラえもんなる未来のロボットなのだ。

それに対峙するように現実を象徴するのが主人公たる野比のび太である。 平凡な、特に人より優れた所もなく、いや寧ろ人より劣っている小学生、 そして友達と時に共に遊んで時に喧嘩をしてはママに叱られパパに諭され成長する。 そんな日常がのび太なのだ。 けれどもそこに描かれる日常も本当の現実世界に比べると非常識も甚だしい。 話の都合で「あいつときどきねぼけて、夜中に散歩するんだ。」と のび太に評されたジャイアンだが、もちろんそんな奴が居るはずない。 他にもむちゃくちゃな点を上げれば枚挙にいとわない訳だが、 それでもドラえもんという圧倒的な非現実の前に 全ては日常としてひれ伏すこととなる。 日常と仮想の協調がこの漫画のベースとなっていて、 そのために読者は無理な展開に無意味な詮索を求めることなしに、 物語の本質のみを追いかけることが可能になっているのである。

上に挙げた「夜中にねぼけて散歩する」ジャイアンだが、 これは「さようなら、ドラえもん」(単行本第6巻収録)という話に登場する。 未来に帰らねばならぬドラえもんはのび太が一人で生活できるか心配するが、 その夜のび太は件のジャイアンに会い、 ジャイアンの「おれがねぼけているところをよくもみたな」という 悲しい程に強引な台詞によって喧嘩が始まる。 殴られ殴られボロボロに傷つきながらも、 ドラえもんが安心して帰れるように負けるわけにいかない。 その思いにジャイアンは敗走することになる。

なるほど実際にはあるそうもないシチュエーションだ。 だけど非現実を扱う漫画という性質がこれをなんとか容認させる。 いやそもそも二人は本当に喧嘩する必要もないのである。 のび太が自分でなんとかしようとする決断だけが大事であって、 殴られたりどうたりする描写は 心の葛藤と決意とを表現するためのシーンなのだ。 そう、全てがのび太の心の内面の出来事で、 そのビジュアルとしてのみ、 ジャイアントとの喧嘩が起こっている考えようではないか。 これはのび太の想像である。 本当にあり得るとかそんなことはどうでも良い。 ただのび太の精神的な成長こそが主題なのだ。 その成長の様子を喧嘩という行為に集約することによって、 一層それを読者に強く問いかけることになる。 殴られ傷ついた主人公に必至の思いを肌で感じる、 絵を用いる漫画という手段によってのみなせる表現ではなかろうか。

こういった心象的な表現を自然に成り立たせるのは、 やはり非現実を取り扱う漫画であるという理由が大きいが、 忘れてはならないのが一話読み切りというそのスタイルだ。 短編という特性を生かして、 一瞬の内に一年を経てしまったり、 以前とは異なるキャラクターで人物が登場したりする。 一続きの物語ならばつじつまが合わなってしまうために出来ぬ技である。 それでいて何となく徐々に成長していく姿が感じられるのも見逃せない。

嗚呼、ドラえもんに涙せし事、幾たびか、 心の洗われる思い、幾たびか。 そう、ドラえもんには、漫画だからこそ、 そして元々は子供向けであるからこそ、 素朴な面白味と純粋な感動が詰まっている。

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