宮崎駿が自ら筆を取った漫画「風の谷のナウシカ」(徳間書店)は、 産業文明の発展の末に崩壊した未来、 主人公ナウシカを中心に苦しい時代を生き抜く人類を描いた物語である。 「火の七日間」と呼ばれる戦争の後、文明は崩壊、多くの技術が失われると共に、 突如として出現した「腐海(フカイ)」という有毒の動植物群。 残された土地を巡って人は再び戦乱の時代を生きるのである。 なお映画化された物は原作の中の三分の一程度であり、 また多くの部分に変更や省略が加えられており、 物語としては全く別個と考えた方が良い。 以下は原作の漫画を読んだ感想である。
ナウシカには数々の天与の才が与えられている。 テレパシーのような不思議な能力、 風を我が物のように扱う飛行機の操縦能力、 物事の本質を見極める科学的思考力、 次々と敵を打ち倒して行く剣術。 加えてナウシカには族長の娘という社会的地位まで与えられている。 また彼女の心優しさは人に対してだけでなく、 人に忌み嫌われる動物にも植物にも向けられる。 一方で猛々しい怒りにまかせて人を傷つけたり、 他方で落ち込んで自らの死を望むのである。
ナウシカは幾人もの命を、直接に、間接に、奪った。 例えば不法に領土を荒らした盟約国の兵を、 怒りにまかせるまま剣を突き刺して殺した。 また戦闘に兵士として参列して、 敵国親衛隊の兵士と一騎打ちになれば、一刀の内に切り倒して行くのである。
怒りであったり生き抜くためであったりと理由は様々であるが、 人を殺したという悲しみと苦悩がナウシカを語る上で欠かせない。 彼女は小さな命を救ったり、小さな動物の死骸を埋葬したりしながら、 思うのである。 それが何になろうかと。 自分が助けた以上の命を、この手で亡き者にしたのではないか。 その中には埋葬されることもなく無惨な姿のまま放置された者もあろう。 いったい私に、人にどうしろという権利があるのだろうか。
彼女は人を殺しながら、悲しみながら、自問しながら、前へと進むのである。 そして真理を追い求め、人々に友愛を説いて、 人類を破滅から救おうと必至で生きようとするのである。
そして彼女は過去を否定する。旧世界の遺産を、歴史を破壊して行くのである。 いにしえの産業文明が残した数々の技術、 機械や生命を作り操る全ての方法が書かれた物を、破壊した。 未来のために託された生命の卵らを、破壊した。 そしてそれらが何のために作られたか、 腐海が人の手に寄るものだということを初めとする数々の情報を隠蔽し、破壊した。 彼女はさながら破壊神の如く過去を否定する。
なぜなら彼女と私は住む世界が違うのである。
私は過去を否定しない。 直接に歴史を学んだり、 先人が築いた学問を学んだり、 時間と共に形成された慣習に従うのである。 確かに愚かな歴史もあっただろう、 間違った認識もあっただろう。 だが今、私の生命を否定する物は殆どない。 多少の不満もありながら、 総体的に見て幸福な時代を生きているのだ。 その時代を築き上げてきた過去を、否定する理由など存在するはずがない。
ところが、と思う。 もし私達が過去の意思に従って生きなければならないとすれば、 何と不幸なことだろう。 過去に引きずられて生きなければならないとしたら、 それは自分の生命だと言えるのだろうか。 親の期待を裏切る子供というのはよくあるが、 私の命は私の物であって、親の持ち物ではない。 死んだ者の考えを習ったり、悪習に従ったりすることは、 実はとても不自由で機械的な生き方なのではなかろうか。 ナウシカはそう問いかけてくる。
しかし人は傲慢である。 我が子に夢を継がそうとするのである。 我が子に幸せになって欲しいと願うのである。 人の幸せを人が決めるなど、できようもない。 それを望むことさえ傲慢と言えるだろう。
そして人は弱いのである。 現在への諦めと失望に襲われた時、 全てを未来へ託そうとするのである。 圧倒的な不可能を前にすれば、立ち向かおうともせずに逃げだし、 将来に希望という足枷を残すのである。
つまるところ幸せとは何か、正しいとは何か、ひいては生きるとは何か、である。 人類が農業を始めた時、それは奇跡を自ら作る喜びを知っただろう。 生きる糧の自給自足に成功したのである。 彼らは食料問題が解決したと信じただろう。 ところが今なお地球には飢えに苦しむ者が多く居る。 アフリカの痩せた大地で苦しむ者も居れば、 東京で五百円のパンを盗んでは追いかけてきた店長を殺す者も居る。 見た目の豊かさだけを追求して、 心の中には貧しさばかりを溜め込んで来たのだろう。 いや、見た目にも貧しいところがたくさんある。
現代的な都会とは見方を変えれば枯れた砂漠である。 人間と、虫とか小鳥と言った小動物を除くと、生命の営みが感じられない空間である。 草木はアスファルトの隙間を見付けて細々と根を張っている状態だ。 この都会のどこが豊かだと言うのだろう。 汚い空気を吸いながら、それでも人は都会の固執し、 あくせくと無機質な仕事に汗を流すのである。
そこのナウシカは問うて来る。 本当の幸せとは何だろうか。 既存の価値観に動かされ過ぎていないだろうか。 やがて未来へと誘ってくれる。 自分の命のままに生きなさい。 未来とは与えられるものではなく自ら切り開くものである。 大いなる力にねじ伏せられるようと、いかなる困難が待ち受けてようと、 必死でもがいて生きよ。 運命を否定して苦しくもがくこと、それが生命という物だから。
私とナウシカでは住む世界が違うが、 与えられた命を、限られた命を使う権利は、 いつの時代も同じである。 どこの世界でも自らの生命は己の意思で使い果たさなければならないと、 ナウシカは教えてくれた。
最後に、「風の谷のナウシカ」の中で、私が最も好きな台詞を紹介しよう。 これはオーマという名の巨神兵(古代の意思を持った兵器)が、 攻撃目標に警告する言葉である。
「いかなる言葉も物質も、わが光から逃れることはできないぞ!」
古代文明の光から、逃げて、逃げて、生きる命…。