小林よしのり作の短編漫画「鉄人28歳」、 28歳にして生活に疲れオヤジの風格を備えた男が、 ちんどん屋から借りた鉄人の衣装を着て正義を行おうとする。 短編なので説明するより読んだ方が早いと思うので、これ以上の説明は省略。 一つだけ断っておくが、 私は小林よしのりという漫画家をそれほど評価している訳ではない。 もちろん名前が平仮名であるという理由もあるけれど、 やはり最近の暴走さ加減には目を覆っても見るに耐えない状況だろう。
私はこの漫画が大好きだ。 これだけは先に言っておく。
二つの顔を持つ男というのは男の浪漫だ。 しかも一方の顔が情けないサラリーマンという点に親近感を覚えずにいられない。 こういう設定は他にも見られることで、 例えば「静かなるドン」は昼間はサラリーマン、夜はヤクザの親分であった。 けれど「鉄人28歳」の主人公は決して派手な夜の顔を持っている訳ではない。 会社では毎日のように怒られ、家に帰っても家族から相手にされず、 そんな哀愁の男が夜になってストレスを発散する。 それは鉄人の衣装を借りて店の宣伝の看板を持って走り回ることである。 ただ働きである。 昼も夜も、二つの顔の両方で惨めな姿をさらす所に、 この作品全体に流れるペーソスがある。
だが男は変わることができるのである。 己の心の持ちようである。 自らが主役となった時、自分自身をその役に近づけることが出来るのである。 鉄人の姿をしている限り彼は鉄人であり、 街の中で自らの意思で歩き注目を集める主人公である。 彼は自分を正義の味方と信じ込み、そして正義を貫き続ける。 決して人から指図されない正義だ。 そして彼は叫ぶ。 「ちがうっ このコスチュームを身につけたからには……わたくしは鉄人なのだっ!!」
そうだ、彼は、彼自身が認めるならば、鉄人なのだ。 実際に悪に打ち勝とうが、打たれ負けようが、関係のないことだ。 人は変わろうと思えば変われるということだ。 確かに空回りに終わって返り討ちにされるかも知れない。 けれど変わろうとしたという事実は変わらない。 即ち彼は確かに自分自身を新たな道へと導いたのだ。 そうやって人間はあるべき道を歩み始める。 その道は険しいかも知れない。見えないかも知れない。 だからこそ人は望み、進み、挫折し、再び立ち上がり、 そして方法を練り、思い直し、信じ、笑いながら、頂上を目指すのだ。
失敗しない人間など居ない。 それどころか災難は外からいくらでも襲ってくるもので、 運が悪いという言葉で片づけられないほど偶然に不幸を背負う者も居る。 いや、多くはそんな他愛な理由で傷ついたり、傷つけたりし合いながら、 人は人として生きているのだろう。 やがて人は人間不信になる。 そして他人以上に自分を信じれないようになって、 ただ助手席の指図通りに車を走らせて行く。 だがその指図に従って事故を起こしても、責任は運転手にあるのである。 しかも指図の張本人である同乗者に対しての責任もこちらにあるのである。 こんな世の中を、どうして己の思う道を進まずに行くのだろうか。 この道は行き止まりかも知れないし、 あの道は渋滞しているかも知れないけれど、 平坦な道ばかりじゃ眠気に悩まされるというものだ。
ひたすらに一本道を歩く者、 新しい場所を求めてふらふらと蛇行する者、 いずれも格好の良い人間だ。 どうせなら格好の良い人間になりたいものだ。