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人であるからこそ

よし今日は混むだろう。時間前から並ぶことにする。

つけば既にかなりの列。二十人近いように見え、座れるかどうかすら不安になってしまう。更にどんどん列が延びる。凄まじい。隣の店の出入り口を塞ぐ形になって、店から人が出てきて指摘を受ける。誰かゞ「折り返しましょうか」と声を掛けると、綺麗に順番を保ったまゝ列を折り返す。この一声を出せる人も凄いし、それに従って整然と並び直すところも凄いと思う。スト客バンザイ。

そんな新宿ニューアート、本日の香盤は、三村妃→広瀬あいみ→友坂麗→倖田李梨→鈴木千里→真白希実。場内ぎゅう詰め大入満員、三回公演でありながら時間はかなり押した。進行は一回目通常、二回目オールダブル、三回目は四番までダブル。一回目フィナーレ時に雪見ほのか登場し、二回目を客席から見学(勉強)。ほゞプンラス。

本日はもちろん、鈴木千里さんを見に来た訳である。一回目と三回目、十二周年作。白いパーカーに紺のジャケットを着て登場する。横浜で一回見たけれど、やはり横浜は狭かった。ステージは最低限こゝ新宿ぐらいの広さが欲しい。

あ、千里さんこっち見てくれてる、とオタク特有の妄想をするがこれは勘違いではない、はず。だって割と正面の席に座ることができたので。三列目だけれどちょうと盆から前を見たらこっちを見るような位置なので。

この十二周年はかっこいゝ。特に手首の素早い所作が素敵。そして盆に入って、座ったまゝ胡座ように脚を交差させ、憂いのある表情で虚空を眺める。盆で回転するその姿が美術作品のように綺麗で、どの瞬間も絵になるなあと見とれるしかなかった。

新宿は独特の撮影スタイル。預かり不要でも名前を書いて、回収の際にも受け取りの名前を書く必要がある。確実性があるだろうけど面倒でもある。千里さんのカメラがずっしり重く、これはいゝカメラだと思う。やはり写りも素晴らしい。

二回目は「tazuna」で、東洋と横浜で計十回ほど見たけれど、一段と気持ちが込められている気がする。個人的にはこれも十二周年作と思っている。

序盤、どんと足を踏み鳴らすように着地すると、床からその振動が伝わってきた。その存在ごと伝わってくるようで、確かにそこに実体を持って立っていると気付かされる。鈴木さんのステージは、その体の細さも相まって、まるで重力などないかのように軽やかに舞う。だけど今日、神でも仮想でもなく、この目の前に現に体重を持って存在し、この世に我々と同じ人間として生きていることを知る。

生きるということは楽しいことばかりじゃない、美しいことばかりじゃない。時に悲しく辛く、人に騙され怒られて、或いは汚く泣きぬれて、生きるために汗をかいては手垢のついた紙幣を握りしめることもある。鈴木千里は美しく軽やかに舞い、美術品のように綺麗に飾られているけれど、確かに人間として生きているのだ。そのことをまざまざと見せつけられて思い違いを正されたように思う。同時に、だからこそ生きている人間がこゝまで華麗に踊ることに感動するのである。

かくして盆に入るとき、これまで衣装の輪郭に視線が向いていたけれど、透けて見える腕がぶらんと力が抜けていることに気付く。機械ではない人間らしい動き。輪郭はきっちりと計算された動きでなのに、中身はだらんとした生々しい動き。なるほど表裏一体。華麗な舞とその裏の人間臭さ、神のように踊っていても中は人間。今更に知ること、

人であるからこそ美しいと。


制作・著作/香倉外骨  2021/02/27初出
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