トップページ | 或阿呆の戯言

エイリアン

地球外に、人類と同程度の知的生命体が存在したとして、お互いを別け隔つ空間は、知的水準を遙かに凌駕する程に、絶対的な深い闇でもって覆われている。二人が出会うなんて、ゴミ捨て場に人型パソコンが落ちているぐらい、空からが美少女が振ってい来るぐらい、有り得ない事だ。

それでいゝ。人類では無い知者エイリアンと邂逅したい欲求は、どう考えても好奇心から来ているのであって、決して恋心では無い。或いはあわよくば未知の技術を盗もうと考えているのかも知れない、遣らずぶったくり主義らしく。出会いは惜しむらくに哀しい結末となろう。奴隷にするか、全滅させるか、自滅するか。

先進国の大学教授が嘆く。「近頃の若者は分数の掛け算が出来ない」と。しかし今日々の社会活動に於いて、果たして分数の掛け算が必要な場面はごくごく限られていて、恐らく平方根なんて全く使わぬ儘、大部分の人間は死んでしまうんだろうと思う。

ひょっとすると、むやみやたらに発達した技術を持つエイリアンは、一桁の足し算だに忘れてしまっているのかも知れない。そんな彼らに相対あいたいして一体全体何の教えを乞う。

脳の部品を肩代わりするナノ・マシンが、徐々に脳の機能を無機物へと換装する、というS-F的アイデアは特に新しくも無い。寧ろ現実として医療目的で研究されている分野である。

脳の全てをマシンに換装できたなら、一つ一つをコンピュータ上のシミュレーションとして動作させうる、つまり脳の振る舞いをそっくりそのまゝ仮想上に成立させられるのである。恐ろしくもこれは移動にあらで複製である。こうなってしまえばシミュレータの性能上昇が頭の回転に直結する、現存よりも高速な思考を生み出す存在が誕生する。

なるほど特異点シンギュラリティには思いの外、簡単に到達するのかも知れない。

例えば甲子園に計算センターがぽつんと残って、そこでは人口百億人がシミュレートされ生活しているのであるが、跡は廃墟のみの地球を、二十世紀の人類が見たとしたら、あゝホモ・サピエンスは滅亡したのだと感ずるであろう。物理的な形態から見れば当たっているし、精神的な思考から見れば外れている。いずれにしても、それが高度な複合知的生命体である事に、気づきもせぬのだ。

果たして地球外生命体とはどんな存在であろうか。我々と存在を確認し合えるだけ、よく似た存在なのであろうか。

ひょっとすると液体かも知れない。気体かも知れない。或いは物体的な形状を持たず、電気の流れが精神を宿していたり、原子レベルの微少な結合に意味を持っていたり、銀河規模の惑星ネットワークにこそ知能を生じていたり。そんな物に教えて貰った技術が人間に役立つ訳も無く、対話もできず、存在さえ気付かぬ儘に終わってしまう。ひょっとすると地球には既に、全く異なる形態の知的生命体が存在している可能性だって、あるのだから。


制作・著作/香倉外骨  2005/10/31初出
無断転載を禁じます。リンクはご自由にどうぞ。
Copyright © 2005 Kagura Gaikotsu. All rights reserved.