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それでも地球は回っていない

恥丘、じゃなくて地球は回転しているのだろうか。天動説と地動説との論争で、ガリレオ・ガリレイはそれでも地球は回っていると、のたまったそうだ。人間は何て愚かな議論をするのだろう。どうでも良い事の対決がやがて命を掛けた信念へと変質してしまう。

私は地球が動いているなどという詭弁、絶対に信ぜぬ。地球は確かに太陽を軸として回転している。しかしそれは視点を太陽に持ってきた場合の話であり、地球に視点を向ければ、太陽の方こそ地球の周りを回っていると言えるのである。要するに甲が乙を回るという事と乙が甲を回るという事は同値なのだ。天動説だとか地動説だとかは全く持って無意味な舌戦であって、言うなればまさしく宗教論争その物なのである。

確かに太陽が宇宙の中心と呼ぶべき特別な地点ならば、太陽中心に議論を進めて良いだろう。けれど我々の太陽なんていうのは矮小な恒星であって、宇宙の中心であるなどという乱暴な言い分なんて却下せざるを得ない。

有限無限を問わず宇宙に中心など無いと思われる。無限ならばまず中心という概念さえ導入する余地が無い。有限ならばどうだろうか。よく宇宙が有限ならば端っこはどうなっているのかなどという、くだらない問題が浮上するが、端などが有るはずも無い。もし端などという境界が存在するならば、その境界の向こう側に何物かを知覚できる事になり、そしてそのように人間に認識できうるような余地があれば、即ちそれを空間(=宇宙)と呼ぶに相違無い。宇宙とは全ての物質、概念、そういった物を導入可能な余裕に他ならない。

ではこういう問いを発せられるかも知れない。いやしくも宇宙が有限であるならば、地球から超光速で直進すれば、いずれ端に到着するのでは無かろうかと。けだし我々はコロンブスを知っている。日本から東へ直進すれば地球の端にたどり着けるのか。もちろん答えは否、いずれ元の地点たる日本へ戻ってくるのである。有限宇宙に於いても同様であって、つまり地球から直進すればやがて地球に戻ってくるはずなのだ。我々は地球を二次元平面として地図を見るが、実際は三次元的な球体をしているのである。であるから宇宙は三次元のように見えながら、四次元的なねじれを以て歪んでいるという事になるだろう。さすれば地球という球体に中心があるように、数学的な意味に於いて確かに宇宙の中心を決定できるかも知れない。けれど地球の中心は地表には無いのと同様、有限宇宙の中心も宇宙空間内にあるとは到底予想できない。つまり数学的な認識として中心なる物を設定できるだろうが、それは我々が幾ら高速に移動できようと、到達できない思考の存在なのである。

つまるところ宇宙には、中心などという偏屈な原点は存在しない。宇宙は、空間という意味に於いて、皆に等しく平等であるのだろう。従って特定の星を中心に定めるなどというのは無謀であり傲慢でさえある。

しかし計算上の観点に立てば、基準を設ける事は悪い事では無い。地球の経度何て物は、本当に基準はどこでも宜しいのであるが、まあ適当に一つ場所を決めてやれば、そこからの相対値で示す事が可能になるのである。

そうである。宇宙にも基準点は確かに必要なのである。その最も適切な点とは何か。このような質問に窮する余地は見あたらない。凡そ最も公平な見解は、我々の住まう地球、これを基準と見なす事でろう。思えば多くの指標が地球を基準にしてきた。それは傲慢でも何でも無い。我々人間のための基準であるならば、我々人間のための地球であれば宜しいのである。

地球が中心ならば、地球と火星の関係を人間関係にちょうどたとえられる。地球と火星は兄弟なのだ。人間ではこれを二親等であると云う。つまり親を一親等として、その更に一親等先にあるからだ。正に地球と火星の関係も然り、太陽を親として地球と火星は二親等なのである。

地球基準、それで全てが我々の普段の知覚通りに説明できる。太陽は地球の周りを回っているのである。それは日々の太陽の動きを見れば一目瞭然である。同様に月も地球の周りを回っているのであるが、こちらはそれほど一目瞭然とまでは行かないが、それでも根気よく計測していれば容易に確かめられる。天上に輝く全ての星々は、皆同じ速さで地球を回っているのである。同じ速さで回っているから、星座はその配置を崩さぬのである。

私は宇宙の中心などという議論に翻弄されて、この大切な、有限の、二つと無い小さな命を、無駄に浪費したく無いのである。貴重な時間を答えの無い論戦のために奪われるなんて、私には耐え難い苦痛に違いない、などと云いながら、かような文章をつづるなんて、これぞまさしく無駄な論戦のための無駄な浪費なんだろう。

全く、人生という物に、無矛盾なんて在った試しが無い。己の命脈なんて物は自分の責任に於いて運用すべきであって、その価値基準は常に己の心の中だ。基準はいつも自分自身に在る、この信念に疑いは無い。


制作・著作/香倉外骨  2003/02/06初出
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