草を食らい、肉を食らい、互いに傷つけ、 地球を消費し、そして肉体に宿った寿命を浪費する。 たったそれだけの人生において、 どうすべきかを自問し反芻し続ける事が、 それ自体が無用の長物であろう。
だが私はたゞ流れに押し流されるまゝ、 たゞ人に望まれるまゝ、 可能性を勝手に過小評価し、 一方で虚栄のみを張り、 磨かれぬ原石ばかりを貯め込んでいる。 たかゞ見栄のために犠牲にして来た所の物を振り返って見よ。 その上に築かれた建造物を見上げて見よ。 一見すると危なげ無く、立派なそれも、 中に入ってみると照明一つ無いがらんとした空間のみ。 それでも堅実に建て続けて来た事に一定の評価が為されるだろうが、 本当にそんな物を作りたくて作ってきているのだろうか。
この魂の叫びを聞いてくれ。 いや誰かに聞いて欲しいからでは無い。 湧き出る叫びを抑えきれなかった。 背伸びして苦しむよりも小さな物で満足するも良し、 無に帰す危険を覚悟に一発逆転を狙うも良し、 そんな楽しい生き方も、ある。
夢見る事は悪い事では無いと自分に言い聞かせても、 夢見たはずの世界が、思った通りに楽しい所では無いかも知れない。 寧ろ犠牲となる所の方が大きいと容易に想像できる。 だとして、だとしても、そんな格好悪くて不器用な生き方でも、 楽しい時間が含まれていれば、それだけで幸せと感ずるのではと思うのである。
人が生まれながらに、 その人生の内に為さねばならぬ事が予め決められているのならば、 それを先にしてしまうか、後に残しておくか、 なんていうくだらない事を考えているぐらいに、 本当はどうでも良い事なのかも知れない事に悩んでいるのかも知れない。 けれど思うのである。 確かに道を替えたからと云ってそれが望んだ道とは限らない。 まして楽な道であるという幸運も滅多な事では起こらない。 けれどこの道を進んで行った先に目的地があるかと云えば、 それだけは確信にも似た予想でもって云えるのである。 この道は間違っていると。
いや人生に目的地など無い。 在るのはだゞっ広い荒涼とした大地のみ。 どこにどんな経路でどんな速さで行こうと自由なのである。 歩き易い道もあれば見つけ易いが為に歩いてしまう道もある。 けれど舗装された道路だけが道では無い。 大地を切り開いて道を為す事、それも又人生である。
いかなる道を選ぼうとも、 人たる者、他を傷つけ悲しませ陥れなければ、前進などあり得ない。 消費でしか己の体の維持さえまゝならぬ枷を負った哀れな小動物に、 生産などという名ばかりの創造を求めるとは愚かである故、 もっと単純に己のために楽しさを求めてみるのも又一興。
結論、未だに見ず。