トップページ | 或阿呆の戯言

きっと花が咲く、正しさの無い未来に向けて

世の中には、大した必要も無いのに、やたらめったら重視されている物がある。

例えば、恋。今も昔も恋愛至上主義者どもが氾濫している。それは空虚である。つまるところ単に劣情の虜であるに過ぎず、より崇高なる目的をあげつらって見た所で、己の遺伝子を残そうと、種の繁栄を求めんと、二重螺旋構造に織り込まれた命令に従っているだけにほかならぬ。

なぜ? それは要するに進化の問題だ。目についた人と片っぱしから性交するのが不可能なのと同様に、だれもかれもを救い、保護することはできない。一方、このふたつの行為の慎重な組みあわせが、遺伝子の伝達に有効であることは明々白々だ。つまり、ぼくの感情はほかのだれもと同じところから発しているのであって、もうその先に、なぜと問うべきことはない。グレッグ・イーガン「しあわせの理由」(山岸真編訳)

だから本当は誰でも良かったのだ。たゞ偶然に出会った二人が、儀式の如くに逢い引きをしている内、まるで電源スイッチを入れたかのように、恋しいと思う。ゲームと同じなんだろう、会話の途中に選択ダイアログが開いて、第二の選択肢を選んだら、恋人フラグが立つ、のような。

別に、恋人だから、性交したい訳では無かろう。そもそも街でちょっとばかり魅力的な異性を見掛ける度に、今から速攻で性交したいと願うのだ。付き合ってるのを言い訳に性交しても、結局は同じ感情に端を発しているのだろ。だったら、変哲も無い修辞など取っ払って、直截に云えば良い。

俺、コンドーム買ってくる!吉田基已「恋風」第五巻

だったら音楽なんて、もっともっと空しい物じゃ無いのか。幾ら音楽を聞いたって空腹には勝てぬ、して子孫など残せぬ。音楽なんて要らない、空々しいだけで時間の無駄だ、捨てゝしまえ。

そうだそうだと肯定派のシナプス群が騒ぎ出すと、いやいや違う、それでも音楽こそ人生を賭しても守るべきと、否定派のシナプス群が電気信号を活発にする。こうして脳内で静かに激しい、身の無い討論会が始まるのである。

「音楽なんて要らないと云うけれど、そもそも君は音楽を理解して否定しているのかい」

「広辞苑に拠れば、音による芸術」

「それで音楽を理解したつもりになっている事がちゃんちゃら可笑しい」

「理解しようとは思わない、それだけの価値が無いのだから。あなたこそ音楽をどう理解している」

「音楽の良い点は、それがスパイスにもなるし、主役にもなる所かな。嬉しい出来事があったとする。勿論嬉しい。でもそこに音楽が加わると、隠れた味まで引き出されて、益々美味になる。それでいて時に音楽は、それ自身が主役にもなる」

「だから音楽が特別? 無くてはならない物? この世にスパイスなんて幾らでも在る、まして主役もたくさん在るじゃ無いか。中でも音楽だけが特別扱いなんて卑怯。世の中にはもっと重要な物が幾らでも在る。例えば恋なんて空々しい物にも、少なくとも音楽よりは、役に立つ、生きる為に」

「でも私は音楽無しに生きられない」

「ほんとに、まさか。たとい音楽が無くなったとしても、しれっとしているもんだ、限って。要するに単なる音楽至上主義の顕れだ」

どうして花は澄んで清らかなんだろう。綺麗に咲き誇った所で何の得にもならぬのに、たゞ売られるのを待っている店先の花々たちよ、その輝きも瞬く間に喪われる、いや刹那の煌めきだからこそ、たれよりも熱く、強く、もみくちゃに抱きしめたい。跡にはしおれた、醜く枯れた、残り香のみ。

だが、いやだからこそ、贈り物には花束を。一時いっときの美しさで魅了し、後腐れ無く潔く散り去る、気高い花束を。

「でも僕は、音楽が無いと、たぶん生き続けられないんだと思う、確信は無いけれど」

喩えれば、仕合わせ。仕合わせが無くても生きて行ける。一日二日、ずっと不仕合わせでも大丈夫、一月だって生きて行ける。だからと云って仕合わせが全く無かった、生きている価値が有るだろうか、生き続けられるだろうか。

「恋人が居ない。恋が出来ない。たれをも好きになるし、どの人をも好きになれぬ、恐らく人として欠陥を抱えているのかも知れない。けれど皆も何かしらの欠陥を抱えているのだから、こんな自分も悪いように思わない」

だけど生まれは突然にやって来て、生きる意味など与えられず、たゞ必死に消えるまで、魂が駆動し続ける。我々は如何に速い車に手にしようと、結局は限られた少数の範囲でしか生きない。つまるところ車は遠方に動く為の手段では無いのだから、だから堕天使が空を飛べなくても、壁を越えられなくても、不思議では無い。

しかし烏は、或いは翼人は、違う。天を翔て、壁を越えて、どこにでも行ける。けれど堕天使より優れている訳でも劣っている訳でも無く、たゞ魂にとって都合の良い形態を採っているだけに相違ない。

そう、だからこそ。

枯れ落ちる宿命が待っているとしても、きっと花が咲く、未来が正しかった事など一度も無かったのだから。


制作・著作/香倉外骨  2005/12/05初出
無断転載を禁じます。リンクはご自由にどうぞ。
Copyright © 2005 Kagura Gaikotsu. All rights reserved.