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言葉狩り

人種差別、男女差別、身分差別。日本国憲法を見れば、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない、と明文化されておるぐらいなので、こういった理由で差別が行われて来たのだろうな。確かに不当な差別は廃するべきである。

さるは人は生まれながらに不平等である故に、たゞ事実から目を背けるは愚かなること。表面を整えて解決した気になっていまいか、真の問題は心の中にあるのに。

言葉には元来、罪など無い。片端かたわを障害者と云い替えた所で何の解決にもならない、何故ならそも片端なる言葉に何らの罪もなくたゞ単に状態を表しているだけであって、この語感に負の印象を受けるならば即ち使う者の内に眠る卑しさに外ならず、罪業は人が内のわだかまりより生ずるもの、畢竟、言葉に罪あらで、あるとすれば人にのみ。

一昔、佐藤正が「燃える!お兄さん」なる漫画が取りただされ、掲載された雑誌の回収騒ぎまで起きたことがあった。教師から用務員になった先生をひたすら馬鹿にしており、「たゞの働くおっさんだな」の台詞が槍玉に挙がった。確かにこの回ばかり見れば酷い仕打ちである、されどこの先生は日頃より無茶な問題教師であって、こゝぞとばかり仕返したゞけである、かつこの漫画の日頃から暴言まみれなのである。この回だけ問題であったとは到底思えない、寧ろ毎回のように問題発言の常習犯であった。

要するに用務員は、つまるところたゞの働くおっさんなのである、疑いなく雑用をして金を儲ける労務者なのである。事実より目をそらすな。

例えば教師も、つまるところたゞの働くおっさんなのである。医師も弁護士も、社長も外交員も、結局たゞの働くおっさんに相違ない。人の弱みに付け込んで利を得ようする、卑しい強欲どもばかり。

用務員が立派な職業とは思わぬ、同様に弁護士も立派な職業とは思わぬ。この世に立派な職など在ったためしなどあるまい。けだし用務員をしている者に尊敬すべき者もあろう、一方で見るに耐えぬ者も居る。即ち彼の貴賎は用務員であるか否かに関わらぬ所なのである。

用務員を蔑むとすれば、その蔑む心にこそ問題があるのであって、用務員という言葉そのものに罪を押し付けるなど、言葉に対する無礼も甚だしい。冤罪こそ憎むべき罪である。

用務員を校務員或いは管理作業員と云う替えた所で、何の解決にもならない。初めから不当でも何でもない部分を排除して、たゞ臭いものに蓋をし、使う者の責任を無視して見えないようにした。けれど腐った匂いはぷんぷん湧き出して来て、また校務員も管理作業員もどろどろとした汚泥まみれになるのであろう。その泥はどこから来たか、人の心の闇より生まれたのである。幾ら拭いても、一時は落とせても、人の心の闇が晴れぬまゝならば、また闇に食われて、人の糞便と屎渣しさに冒されるのだ。

保母が保育士に代わった。看護婦が看護師に代わった。

患者が患者様に代わった。生徒が生徒様に代わった。

チェアマンがチェアパーソンに代わったように、マンホールがパーソンホールになるのだろうか。ウーマンホールだと、ちょっとやらしい。

男児も女児も「さん」付けで呼ぶようになった。区別しないなら呼び捨てゞも良かろう、最も中性であるを目差すならば出席番号で呼べば良い。

お外で遊ぶのは危ない、お内でゲームに興ずるが良い。人と話すと傷つける、家でアニメに耽るが良い。引きこもるのではない、たゞ表に出る必要がないだけ。話したくないのではない、たゞ傷つけたくないだけ。

けど本当は、たゞ傷つきたくないだけ。安全で暖かくて寂しい、この時空にひたすら身を任せている。

人が平等でないと認めよう。差別があると認めよう。その上で、不当な差別をなくそうと、認めよう。

差別、今世こんぜで最も差別された言葉、「差別」。

差別は悪くない。言葉は悪くない。


制作・著作/香倉外骨  2008/02/24初出
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