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もっと束縛を、もっと不自由を

先月は二回続けて葬式があったので、万が一の為に礼服を買って来ていた、まさか流石にもう続くまいと値札も附けたまゝであるというのに、予想はいとも簡単に裏切られてしまう物、あゝ、明日、通夜がある。近所に住み、年の頃は余より四つ下、毎月顔を合わせていた彼は、たれも見ぬ真夜中、独り息を引き取っていたという。メールで連絡のあった後、死体検案書附の届が来た。遠くの親戚よりも近くの他人、という諺があるが、確かにそうかも知れない、不思議と悲しいとは感ぜぬ、たゞ何故なんだと思う、ゆえに残された家族の顔を思う。理由は本当は皆知っている、我々には常にその選択肢が与えられていて、容易とは云えないまでも、妖しく麗しい女神が岩注ぐ岸からいつもいざなっている。たゞ、星に誘われたゞけ、なのだ。

自由は人間を駄目にする、どこかで聞いた台詞だ。確かに人間は自由に慣れていないのかも知れない、束縛されていないと落ち着かないのかも知れない、弾圧されて初めて気力の充実が謀りうる。たぶん我々は自由を勝ち取るプロセスが好きなのであって、不自由さえ無くなってしまえば、もはや居なくなってしまったアンチテーゼの対象に、失望を覚えるのである。星界の紋章IIIにこんな発言が登場する、「おれが前に取り調べた過激派は、帝国が弾圧してくれない、と文句を垂れていたっけ」。

昔、高校の倫理の授業で、ヘーゲルの弁証法、定立(テーゼ)は反定立(アンチテーゼ)によってより上位の判断、つまり正反合に至る、と習った時、だからどうしたんだというぐらいにしか理解できなかった、が今になってようやく真実と知る。例えば、陽子には反陽子が在る、というのが真理では無く、我々はそういう定立・反定立の次元でしか、物事を認識し得ないという事、つまり飽くまでも一次元的に還元された概念としのみ知覚し、故に軸の方向を失えばそこに残るのは単なる、点、ユークリッドに定義させれば、部分を持たざる物、もう進めない。

戦争というアンチテーゼが登場して初めて平和という概念が導き出される、けれど今や戦争はアンチテーゼとしては少々危険に過ぎる、人類その物を滅ぼしかねない程に。そう、裸の女ぐらいじゃアンチテーゼになりゃしない、過激な殺人シーンぐらいじゃアンチテーゼになりゃしない、脱感作だけが進行し、たゞ当たり前に裸の女が寝転がっている。

かくして、生きる事、それは死というアンチテーゼ無しには成り立たなくなってしまった。仮に、死からも自由になってしまったとしたら、永遠の命という可能性とは裏腹に、人という種は自壊してしまうだろう。

さあ、もっと束縛を、もっと不自由を。


制作・著作/香倉外骨  2005/02/18初出
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