幾ら応援した所で一過性。にわかに生じてまた消える性質のものであろう。消費という言葉に相応しく、金銭を散らかした挙句に疲弊して、そして後に何も残らない。だとしても浪費する。まるでそれが経済に対する美徳であると偽ってゞも。
ザナドゥ計画は今のところ計画倒れに終わった。しかれども実のところ既に別の形で実現してしまったと云って良いのかも知れない。ほら、どうでも良い知識がネットされて広がっている。正しくもあり誤ってもあり、「ワイヤードされた情報こそ、げに真実であれかし」と我がもの顔でのさばり返っている。
ウェブの問題は情報が保持されないことであると信じられてきた。作者が何かしらの都合で、それは作者の意思であるか、サーバーを維持する資金がなくなったか、或いは外部から削除されてしまって、情報が消えてしまう可能性がある。参照元からすればリンク切れを生ずる。双方向連結を思想とするザナドゥでは生じない事象である。
ところがどうだろう。今やネットに乗った情報は瞬く間に広まって、寧ろ消すことの方が困難となっている。それが求められる限り、転載され、蓄積され、伝播され、作者から自立したミームとなって漂い続ける。
ならば余が、たゞ一人、最後の一人となっても求め続ければ、ミームは生き続ける。信ずれば生き続ける。生き続ければいつかまた伝承されて子孫を残しうるのかも知れない。
香倉外骨は高橋みなみを応援している。
僕たちは戦っていた。出自不明の生き物が溢れて、僕たちの生きる場所はいよいよ少ない。たゞ人海戦術に任せた攻撃しか出来なかった。攻めては逃げて、押しては負けて、彼らは強かった。即ち敗戦は明らかであったが、対話する
これは新旧の意地を掛けた
気が付くと人の群れは消えていた。飄々とした大地が広がっていた。僕は生きていた。人類が滅びたはずなのに、僕は生きている。誰も居ない。人は居ない。人類から地上を奪った生き物がまばらに暮らしている。平和に暮らしている。あの圧倒的な戦闘能力をその肉体に秘めながら、のどかに暮らしていた。人類の為しえなかった生活を手にしているのに、どうして僕だけが生きている。
もう涙は出ない。笑い尽くして、笑う相手も居なくなったから。今や僕ものんびりと暮らすしかないのか。ひっそりと、こっそりと、或いは大胆に……。
そう僕は、人類最後の一人となっても、高橋みなみを応援するのである。
望んでも手に入らないかも知れない。だが望まなければ、絶対に手に入らない。クラフト・ロレンス
そんなことはアニメの主人公に云われるまでもなく分かっている。望まなかった過去の自分を後悔した所で、もはや手に入らないかも知れない。たゞ諦め切れないだけで、今もしがみついている。今になって望む。望まなければ手に入らないものを。
分かっていることが大事なんじゃない、分かっていて当たり前のこと。しかれどロレンスがこの台詞の心を打つは、純粋にその言葉を信じていることであって、心から誠実に守り続けることであって、何よりも照れながらも口にして相手に伝えたことである。
人はどうして言葉を話すのだろう。こんなにも不便なのに、誤解を生むのに、憎しみを生むのに。それでも伝えたい言葉があるが故に、人は、どうしても言葉を話すのだろう。
伝えたい、言葉。
あゝ、望もうぞ。望み続けることを誓おうぞ。誓って望み続けよう。望んで信じ続けよう。信じた所で報われぬとしても、信じた事実が残るとすれば、この人生は楽しかったと思えるのかも知れない。
余、そなたを望む。
たかみな動画を見ながら、独り部屋で「よっしゃいくぞー。タイガー、ファイヤー、サイバー、ファイバー、ダイバー、バイバー、ジャージャー」とMIXを打つ。この叫びは誰にも届かない。勿論たかみなに届かない。届かないとしても、ひょっとしたら思いだけでも伝わるのかも知れない。
なんば駅前でやってる募金なんて胡散臭い。まして日本橋なんてもっと胡散臭い。東北から来ましたと訛った言葉遣いで義援金をせがむ。確かに東北から来たんだろうが震災前だろ絶対。くせぇ、くせぇ、胡散くせぇぜ。だけど小銭を放り込む。胡散臭いアマゾンでも寄付をする。それは被災地に届かないかも知れない。届かないとしても、ひょっとしたら思いだけでも伝わると信じて。
関西は地震も停電も影響ないと踏んでおったのに、JR西日本が保守部品の不足が為に運休等を実施すると発表した。経済の波の中で、当たり前すぎて気付けなかったサプライチェーンの複雑さがこゝで表出した。日本の供給が滞っている所為で、アメリカでは工場の操業停止が始まっているとニューズウィーク誌が伝えた。電気よ、日本経済を駆動せよと、伝えている。
香倉外骨は今日も高橋みなみを応援している。ひょっとしたら思いだけでも伝わると信じて。
ひょっとしたら思いだけでも伝わると信じて
きた。
信じて、きたけれど、
信じる者は救われない。幾ら信じた所で届かないものは届かないし、伝わらないものは伝わらない。ひょっともひょっとこもない。伝えたくても、望み続けても、人類最後の一人となっても誓っていても、思いは思いでしかない。
津波が、きた。何万人もの命を、思いごと飲んでしまった。荒野だけが残った。涙だけが残った。死人より多くの難民が溢れ、難民の数だけ憂いが増長する。
原子炉が崩壊する。街から人が消える。思いごと消えてしまった。広島が如く復興したとしても、あの思いはもう戻らないであろう。傷跡だけが残って。
永遠と、永遠と、思い続けても辿り着かない。地球は丸いからと、北へ、北へと、進み続けても辿り着かない。やがて北極点に達して呆然と太陽を眺める。終わらない昼、終わらない夜、立ち尽くして北極星を見上げる。こんな所まで来てしまったけれど、まだ思っている。
南極点まで一万二千キロ。地殻、マントル、コア、未知の領域に阻まれ届かない。南へ、南へと、近づこうとしても、永遠よりも遠く届かない。初めから分かっていた。届く訳がないと。
違う。違う。
一生掛かっても届かないならば、一生終わっても思い続ければ良い。だって信じているのだから。
そう、信じている。地殻もマントルもコアも越えて、未知の領域を突破して届けよう。永遠に、永遠に、思い続けて伝えよう。核融合のエネルギーより強く、強く、立ち上がれと叫んで、思い続けよう。報われようと報われまいと、そんなことは関係ない。たゞ信じている。みなみへ、みなみへと、近づくために。
香倉外骨は高橋みなみを応援している。
制作・著作/香倉外骨
2011/04/02初出
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