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縷々と伝わる襞

生きることに意味は無い。つい先日も、「みんないつの間にか生まれてきて、死にたくないから生き続けているだけなのだ。死にたくないと、死にたくないと、死にたくないと、たゞぼんやりと生き長らえている」と書いた。

そうだろう。確かにそうだ。頼んだ訳でもないのに生まれて来て、それでいて死の恐怖に駆られて、もがき苦しみながら前へ前へと漕いでいる。

生きる意味を見つけるのもまた人生の一部? そんな話は聞きたくない。自分で見つけられるぐらい積極的な人間は初めから迷わぬ。人は元来、怠惰であって、好きなことしか身を入れてやろうとしない。

いや寧ろ怠惰の中にこそ人の価値が潜んでいるのではあるまいか……。

近頃、人類という集合体の生み出すものについて考えることがある。おしなべて人の生産物は人によって消費される。或いは消費されうるものを生産しているとも云える。ならば差し引き何も残らぬ。

けれど必ず残るものがある。生産されたという事実が残る。確かに存在した。作り出した。人が、人をして。

人類が生産能力を高め続けても、ちっとも生活は楽にならない、なるはずもない。伴って人口が爆発し、資源が枯渇し、故に一人に課せられた使命は重く、余暇は少ない。

かつて広大な土地に小さな集落しかない時代に、人に労働は必要であったか。確かに必要であった。しかしちょっと山で木の実を捕る程度であった。木の実が取れなければ川魚でも良かろう。少しばかりの労働で充分であった。

それが今や詰め込みすぎた人口が所為に、すっかり余地がなくて苦しんでいる。もがき苦しみながら働いて、いよいよ生活は苦しい。

たゞ人類が総体としては、確かに余剰エネルギーが増えたのかも知れない。一人一人としては減っていたとしても、人口が指数関数的に増加したことにより、確かに人類全体の怠惰部分が強化されたとも考えられよう。

余はこの怠惰の中にこそ人の価値、若しくば人類の価値が潜んでいると考えている。

怠惰の中に生じた揺らぎのみ、人の生み出した価値。後世に、人類以外の後世に、残すべき足跡。ゆらめき、きらめき、縷々るると伝わるひだに込められた心。形の果てようと、見る者のなかろうと、残滓となって漂うであろう。


制作・著作/香倉外骨  2010/10/18初出
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