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有涯は秋の月

無常は春の花、風にしたがいてちりやすく、有涯うがいは秋の月、雲に伴って隠れ易し。平家物語

諸業もろわざにおいて移ろい易い此の世、常住じょうじゅうにして不断なるの在ったためしなく、須らく無常迅速なるべしと云わんばかりに、目に見えていしぶみの流れるように崩れ、思う間もなく心の溶けるように消え、聴きながら音の狂うように乱れる。

しかるあいだ著作権とて常に認められた権利にあらで、たゞ近頃の流行に過ぎんのである。著作権とはコピーライト、即ち謄写する権利を表すのであって、たかだかコピーすることに関して何ら制限を加えられねばならんと云うのだ。それは財産である。それは減らない財産であり、幾らでも複製できる性質のものであった。

テレビ番組を録画しようと、せっかく高いレコーダーを買ったところで、随意にコピーできないという。コピーワンスかダビングテンだか知らないが、何とも殺生な仕打ち、みゝっちくてせこい仕組みだ。きっとこれを考えた奴は、爪楊枝さえ使うこともできず、シャンプーを薄めて使うような度量の狭いひょっとこに違いない。

たとえデジタルデータと云えども無常なるに相違なく、いつしか消え去り朽ち果てる。確かに論理的には劣化しない、けれど物理的な損傷からは自由ではなく、当然に老朽化してしまうのである。CDの耐用年数だって知れている。保管に気を付けていないと参拾年を耐えられないものが相当数ある。

其の瞬間、此の世から音楽が失われた。一度ひとたび途絶えた煌めきが二度ふたたび戻ることない。残すべき著作を、愛すべき記録を、保存するすべがなくなってしまった。著作を永続させるための技術に、人は身づから戒具を填めて、いっときの快楽で済ます技術に変えてしまったのだ。

つまるところ後世に残すにはコピーし続けなければならんのだ。紙が痛んだら新しい紙に書き写し、火事に遭っても大丈夫なように複製をそこかしこに分散する。著作はそうやってコピーし続けることで守られて来た。なのにコピーする手段を奪うとは、愚行甚だしく、さらば我々は未来に何を託せば良いと云うのだろう。

船場吉兆が倒産する、突然に道路が陥没する、情報が行き止まりにさらされる、まるで自害こそ美しい散り方と云わんばかりに。

いつまでも変わらず美しいのは、永作博美だけ、なのか。


制作・著作/香倉外骨  2008/05/29初出
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