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夢は叶わない

か弱い人は常に悩み続ける。だけど本当はもう悩む必要さえ無いのだ。結論は、出ている。結論に向かって自分自身を追い込んでいる。それなのに心の内であれこれ思うのは、人というのが、か弱いから、に違いない。

いよいよ明日には結論を公式発表しなければならない。当然の事のように事務的に処理されるかも知れない、冷遇され阻害されいじめ抜かれて終わるかも知れない、或いは始終取り繕って和やかなまゝなのかも知れない。そんな表面的な反応など実はどうでも良い事で、それこそ内面的にどう思われようともどうでも良い。一名は鼻で笑ったり、また一名は悲しんだり、他一名は羨んだりする。人は人、己は己と、割り切ってしまえるようであれば、誰がどう思おうと関係の無い事なのだが……。

先輩も、取引先も、みんな良い人ばかりだった(既に過去形)。けれど所詮は仕事上の付き合いである。かつて披露していた持論、仕事上の付き合いから本当の友情は生まれない。仕事関係、換言すれば金銭の絡む関係から、心を開いた駆け引きは出来ない。少なくとも私はそれぐらい俗物である。人生の中で金という物がかなりの比重を占めている。金の損得が絡むと、とたんに疑いの目であったり、嫌悪の念を抱いて、心を開けない。そんな私が、良い人ばかりだった、というぐらいだから、相当に良かったのだと思って頂きたい。

思えば私は、生まれて初めて、自分で自分の道を選択するのかも知れない。確かにきっかけは些細な事からであった。が少なくともこの選択は能動的である。これまでの受動的な香倉外骨、流れに流されるまゝの、それは簡単な事だ。言い逃れが容易である。自分で選んだ道では無いのだから。けれど今回は積極的である。言い訳は許されない。そんな当たり前の事に、今更、頭を痛めている。情けない事だ。

悩み続けるか弱い人は、窓から空を見上げた。薄暗い夕刻に、一面覆われた雲、風も無く、音も無く、悩みも無い。たゞはっきりしない鼠空に、期待と不安を織り交ぜて。


夢という哀しい思い出を、ふと思い出した。夢を忘れちゃいけないなと、はたと気付いた。そんな物が無くても、楽しい事や嬉しい事は多々あるだろう。だとしても、それだけだ。夢はいゝ。叶えば、いゝ。叶わずとも、それもまた、いゝ。たった一つの他愛ない出来事も、夢などという陳腐な伏線のおかげで、ちょっといゝ話になったりするもんだ。

私も昔からいくつも夢を抱いてきた。こゝ最近は忘れていたけれど、沸々と思い出したきた。幼稚園の時には電車の車掌さんなんて云っていた気がする。運転手ではなくて車掌という辺りが、我ながら微笑ましい。将来は花屋になりたいなんてのたまっていた時期もあった。花は、いゝ。花は純粋に美しい。それでいて時が来れば醜く枯れて果てゝしまう。そんな潔さが素晴らしい。丹念に育てゝ育てゝ、一瞬のきらめきと供に去っていく花、そんな花屋は今でも悪くないと思う。

陸上部に入っていた中学時代、やっぱりそれなりに結果を出したいと思っていた。別にオリンピックで金メダルとか、全国大会に出場とか、そんな大それた事など考えもしなかった。だけど、誰にも云っていなかったけど、ボクは密かに一つの夢を持っていたんだ。香倉少年は優勝したかった。たった一度でいゝから一位になりたかった。地区大会でも、郡市大会でも、市大会でも、どんな小さな大会でもいゝ。だけど夢が叶わぬ三年間も、またいゝ。

物書きになりたかったのも、実は中学時代からだった。そのために何かをした訳でも無い。いや、一度だけ、こっそりと応募した事もあった気がする。中学の時か、高校に入ってからの事か、記憶が定かでは無いが、一編の詩をしたゝめて、紙に清書、折り曲げて茶封筒に入れ、宛名を書いて封をして、ポストに放り込んだ青春時代。きっとあの封筒は郵便局員がどこかで無くしてしまったのだろう。

本なんて大して読んでないと思っていたけれど、これでも結構読んでいた事を思い出した。一番読んでいたのは小学校の時だ。毎週のように図書館へ通っては小説を読んでいた。小説と云っても子供向けのデカ活字の物だったが、今思うとかなりの分量を読んでいた。当時の私の小遣いではとても本を買えなかったからなあ。小六の時で小遣いは月六百円、毎週ジャンプを買う金も無かった訳だ。友達もいねえし、ゲームもしねえ、漫画も買えないとなると、図書館しか無いじゃないか。当時の私が好きだったのは、今も大して変わってないが、SFである。クライトンの「アンドロメダ病原体」は今も忘れない。ウェルズの「宇宙戦争」なんて、執筆年代なんて考えて無かったから、何で地球人の兵器がこんなに弱いのか不思議に思って、こんな古い大砲で倒せる宇宙人なんて怖くないな、などと子供心に思ったものだ。自分でも意外だけど、結構本を読んでいた。かなり偏ってはいたけれど。

中学の時から、夜中にこっそり詩を詠んでいたりした。頻度は減ったけれど、高校に入っても、大学に入っても、そして今になっても、それは続いていて、「されど我が詩集」にはそんな昔の恥ずかしい詩が、恥ずかしげも無く並べられている。けども詩人になりたいとは思わない。それよりも小説家になりたいと思っていた。ノーベル文学賞なぞ要らない、それよりも芥川賞だと思っていた、それも青春時代の話。

高校ぐらいからか、音楽に急速に惹かれ始めたのは。私は何よりも音楽家になりたかった。文学と音楽は非常に似ている。所定の様式の中に、始まりと終わりがあって、一定の方向に真っ直ぐと流れている、人間のためだけの純粋な作品。笑い、涙、憎しみ、怒り、陳腐な恋愛から、痛切な嫉妬心まで、そこには描かれている。文と旋律の違いは、文字は明確に語るけれど、音は曖昧に語る点だ。だけどそんな音楽が、文章よりも誤解無く雄弁に、そして無理なく心に届いてくる。だから音楽が好きなのだ。そして恥ずかしがり屋は文筆家よりも作曲家になった方が良いはず。

楽書を読んだ。ピアノを弾いた。曲を書いた。大した成果は上がらなかった。いや寧ろ、これまでの挑戦の中では最大の成果があったと云っても過言では無い。少なくとも私の作った曲が全く知らない第三者の耳に触れた。まあそれはインターネットに載せたからに他ならないが、少なくとも作曲家という肩書きは、別に名乗っても構わないだろう。

音楽に関する著作は、曲以上に反響があった。それが私にとって嬉しい事か否かは別にして、兎も角私の一つの楽しみが、人に評価されるというのは、また楽しい事である。大学の研究室からリンクを張られるなんて、光栄な事である。音大の卒論にパク引用されるなんて、愉快な事である。

しかしながら夢は叶っていない。この心の奥底で、どことなく流れる音楽、未だはっきりと奏でぬこの響きを、いつか実際にスピーカーから発音させたい。それだけの技量と感覚でもって、作りたい音楽に近づけたい。良い曲を作りたいのでは無く、私の内面を投影する音像を表現したのである。それが出来てこそ、夢の実現と云えよう。


あゝ、幸せだ、しあわせだ。まだ私はこんなにも叶わぬ夢を持っていた。実はもっと隠し持っている夢もある。こゝで書くには恥ずかしすぎる夢も。こんなにも夢を持ち続けられるなんて、それだけ恵まれているという事だ。きっとそうだ。

大自然の圧倒的な景観を前にして、女が、私の悩みなんて何てちっぽけなんでしょう、と陳腐な台詞を呟いた。いつもなら鼻で笑うような、そんな台本通りの言葉にも、共感できる気がしないでも無い。考えてみれば、我が人生の行き先は明瞭である。道はアスファルトで整備され、路肩にはスヾランが咲き乱れ、右手にパピルスの木が立ち並び、カッコウが愉快な音楽を奏でる。その中を、爽やかな汗をかきながら、自らの足で走っていく。


制作・著作/香倉外骨  2004/01/04初出
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