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人間は不平等である

近頃の小学校では出欠を取る際に、名前を「さん」で呼ぶそうだ。幼い一年生に対してそれは無いだろうに、私の頃は男は君、女はちゃんが相場であった、これは男女差別とでも云うのであろうか、この調子ではその内に生徒様なんて云い出しそうだ。

馬鹿な。幾ら呼称を揃えた所で男と女は違うもんだろうが。人間は生まれながらに不平等である、それを隠蔽するのは教育では無い。

走れば速いも遅いも居る。幾ら運動会でテープを上にどけた所で事実に何も変わりない、ばかりか勝者に対する冒涜である。どうして走るのか、差があるから走るのであって、皆同じ早さならばそもそも競走する必要など無い。

人間は学ばなければならないのである、この世は不平等であるという事を。教育とはそれを教える事に外ならぬ、教えぬ先生は教師失格だ。

そして教えねばならぬ、勝者には妬みでは無く賞賛を、敗者には差別では無く友愛を。例えば足の遅い者がそれを理由に給食が減らされたとしたら差別だ、勝敗を埒外の差別にしない事、それが大切であるというのに、初めから勝負を避けていては、勝ち方も負け方も知らぬ大人になってしまう。

本当は不平等だけでは無い、理不尽である。せっかく成した手柄を横取りされ、何の関係も無い事柄なのに、たまたま近くに居たゞけで叱られる。抜け目の無い奴は反対に利を得て、しかも相手にさえ悪い気にさせない技も持つ。強運の持ち主はどれ程速度違反しても捕まらない。憎たらしい限りであるが、だからと云ってそんな物だと思って苦汁を嘗めるしか無い。

人生は儚い夢だ。数々の未来と希望に満ち溢れ、努力と苦労の後に残るのは、諦めと失望しか無い。けれど私は知っている、叶わぬ夢の美しさを、報われぬ汗の清々しさを。


制作・著作/香倉外骨  2005/03/13初出
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