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螢女

縦横に巡らされたインターネットワーキングが総体として一種の脳を形成している、とは有りがりな想像だろう。勿論、人間の脳とコンピュータのそれとは、時間軸も空間軸も異なる、されどそうの機能は脳に似ているように思うのである。

記憶はたゞの記録、さてこの風景は、その音色は、あの感情は、どこに記録されているのだろう。外部入力は一つ一つのシナプスを刺激し変化させる。さりとて個シナプスはたゞ電気信号の伝達装置に過ぎぬ。シナプス群が集団として記録を残すためには、そこに一種の論理の飛躍が、高階層の処理が有るはずだ。

私はこの肉体を自分だと信じている。ややもすれば身に着けた服も鞄も自分の一部と思いがちなのだ。なのに生半尺の科学的知識が、意識は脳より生ずるのだよ、自他の区別は脳が決めるのだよと説明する。

意識とは何か? 意識とは脳なのか?

脳は単なるハードウェア的バッグボーンでしかない。脳が意識を駆動しているが、脳は何も意識していない。なのに私は脳を意識する。――まるで片思いのように。

他人が意識を持っているかどうかなど分からない、分かるはずもない。自分が持っていると信じたいからこそ、他人も持っていると思いたいだけなのかも知れない。

分からない、だからこそ反対にネットには意識がないと否定する。生体ネットワークが、無生物の蓄積が、高次に発達することへの恐れ。


薄暗い月夜の森で
螢が死の舞を披露する
その殺意は誰に向けられた
この瞳か、あの月夜か、
或いは螢自身にか

枯れ果てた桜の下で
螢が命を燃やして光っている
憎むでも恐れるでもなく
生き続けるためだけに
死の灯火を照らす


制作・著作/香倉外骨  2008/09/16初出
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