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自殺は文学である

生が偶然であったとしても、死は必然である。どれほど恐れ避けようとも、死からは逃れられぬ。

生命すべからく寿命あるべしと云いながら、医学の進んだ今程において、老衰のいよいよ少なく、病死こそ殆ど場合に当てはまる。なお病死とは治療をいつ諦めるかで調整されるものに外ならぬ。さらば遂に本当に望まぬ限り死ねぬ体が手に入るのかも知れぬ。そうなれば自殺だけが残された死の形となろう。

経営者の倒産による自殺は、自殺のように見えるが実は他殺である、と寺山修司は云った。ノイローゼで首を吊った、というのは病死である、とも云った。自殺とはもっと個人的で自由なものである。

ところがどうだ現代は、自殺に限らず死に場所を死に方を選べない。屍の土になると、やがて大地に還ると信じておったのに、アスファルトで舗装してしまったら道すがら行き倒れても土になれないじゃないか。

尤も路上で死んでおったらさっさと片付けられて処分されてしまうだろう。死に切れたら幾分か増しと云うべきであって、事切れる前に発見されるのが落ち、救急に搬送されるか豚箱で一泊する羽目に合う。真に自殺を志す者にとって、未遂で終わることほど遣り切れないものはなかろう。完遂せねば脳や肉体に障害を負っている場合がある、あらねども家族から世間から自殺未遂者の烙印を押される。自殺するならば確実に果たさねばならん。

首吊りも直ぐに見つかっては用を為さぬ、薬品を大量に飲んでも胃洗浄されては元も子もない。発見さえ遅れゝば手段は幾らでも用意できよう。意思が固ければ洗面器の水に顔を突っ込んで死ぬこともできるというが、やはり首吊りが尤も容易い。紐がなければ衣服を破いて紐状にすれば良い。首吊りに気道を塞ぐほどの力は要らない、たゞ首の血管を圧迫して脳に血液が届かぬようにすれば良く、ならば天井より吊らすまでもなくドアの取っ手でも充分であるという。戒具に嵌められでもせぬ限り凡そ常に実現できる。首吊りを邪魔するは素っ裸にして真っ平らな部屋に入れることである。鉄格子さえ横方向の格子があってはならぬ、便所は和式で窪みだけにせねばならぬ。たゞし和式にして首吊りを防いだ所で、便所に入水自殺されてはいけないが。

都会は自殺に向いていない、早期発見は自殺の天敵である。また運良く天敵より逃れても、普通その場所を糞尿やら体液やらで汚してしまう、それは見るに耐えぬであろう。首を吊った部屋が借家ならば大家が困るだろう、何より隣の部屋の住人も気が悪いし、そんな部屋を借りようとする人も稀となる。迷惑も甚だしい。元より都会とは生きにくゝかつ死にがたい。

いざ死なん時に死後を気にするも詮無い、されど世知辛いこの世、浮世の関を越えるにも橋銭の要る如く、ひっそりこっそり確かなる方策を立てねばならん。

となれば結局のところ都会が自殺に向いておらず、人里離れることが必須の条件となるだろう。ところがこゝに一定の相反する事実がある。早期発見は避けたい、けれど発見できないのでは傍迷惑も甚だしい。行方不明ほど質の悪いものはない、家族は探し続ける羽目に遭うし、実際は死んでいるのに彼に関わる利害がいつまで経っても消せない。

この撞着を解決するため、遺書を郵便で出すことをお勧めしたい。遺書を自分宛て封書にしてポストに入れゝば、到着まで数日掛かり、しかも開封まではもっと時が稼げる。時間潰しにはもってこいと思う。

肝心の遺言状の内容であるが、別に何でも良いと思う、さりとて最低限自殺したことは書いて置かないといけないだろう。創作でも構わないので、できればそれらしい理由を添えればより体裁を為す。「ぼんやりした不安」などというぼんやりした動機が許されるのは文豪だけだろうし、取調官が苦し紛れに使う「むしゃくしゃしたのでやった」でも満足させられない。一世一代の一大叙事詩を残しやるぐらいの気概で遺書を認めたい。

最も醜悪なるは遺言証書の類である。やれ誰それに遺贈するだとか、何それはこうしておけとか、頗る余計なお世話に外ならぬ。相続問題を起こさない為に作って置くべきと無責任な助言があるものゝ、はっきり云って遺言の内容こそ身内の喧嘩の始まりと云って過言ではない。そして書いた人に文句を云おうにも死人に口なし、抗弁できぬ強制ほどの暴力はなかろう。

即ち遺言とは純文学であり、須く一世一代の一大叙事詩なるべきである。

誕生が不可避であったとしても、自殺は自由であるはず。自殺できぬ植物人間に同情したい。自殺の自由を奪う殺人犯を憎みたい。自殺だけが残された死の形ならば……。

そう、たとい地球のコンクリートに覆われようとも、吾が血潮の文学となりて、大地の一部とならんことを。


制作・著作/香倉外骨  2008/02/25初出
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